武将

朝倉宗滴(朝倉教景)

朝倉宗滴(あさくら そうてき)は、本名を朝倉教景(あさくら-のりかげ)と言う越前の戦国武将ですが、一乗谷城主の朝倉氏の一族である重臣となります。
諸説ありますが、1477年に越前守護である朝倉孝景の8男として生まれました。
金吾の名でも知られます。
1503年に敦賀城主・朝倉景豊の謀反に当初は加わる姿勢を見せると、その謀反の企てを朝倉家当主・朝倉貞景に密告した功績にて、朝倉宗滴は金ヶ崎城主となり、以後、朝倉家の重鎮として政務・軍事を担当しました。
1506年には、九頭竜川の戦いにて北陸一向宗を撃破し、吉崎御坊を破壊し一揆を収めています。
18歳から79歳までの間に、合戦には12度出陣しており、そのうち3回は自らの刀で敵を討ったと記録もあります。
1527年に、家督を養子の朝倉景紀に譲ったあとも、朝倉勢の軍奉行を引き続き務めました。
1548年に若年の朝倉義景が宗家の当主になると補佐し、春日山城主・長尾景虎に呼応して加賀一向一揆にも対抗しています。
しかし、その陣中で倒れ、一乗谷に戻りましたが病死しました。享年79。

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